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コンラート1世 (モンフェラート侯) : ウィキペディア日本語版 | コンラート1世 (モンフェラート侯)[こんらーと1せい]
コンラート1世〔「コンラート」はドイツ語読みであり、イタリア語では、コッラディーノ(Corradino)と発音される。〕(Conrad I, 1146年 - 1192年4月28日)は、モンフェラート侯。エルサレム王即位直前に暗殺教団の凶刃に倒れた第3回十字軍側の英雄の一人。通称はコンラド〔。彼の武勇はイスラム側からは、アル・マルキシュの名で恐れられていた。 == 生涯 ==
=== 東ローマ帝国で活躍 === イタリアでも名族で知られたモンフェラート侯爵家の出身。1179年、モンフェラート侯爵家と当時の東ローマ帝国皇帝・マヌエル1世コムネノスとの同盟に基づき、コンラドは軍を率いて出征し、帝国の内乱を鎮圧した。コンラドは智勇兼備の名将であったことから恐れられたが、この頃に東ローマ帝国は次々と皇帝が変わり、1185年に即位した皇帝イサキオス2世アンゲロスがとりわけ暗愚なために帝国の内乱は増える一方だった。 1186年の冬、イサキオス2世アンゲロスは彼に自分の姉テオドアを妻とするよう要請し、このころ東ローマを去って十字軍に加わろうと考えていたコンラドもこれを受け入れた。1187年春に結婚式がコンスタンティノープルで行われ、このことで家格もその存在も一段と高まった。結婚後すぐさまアレクシオス・ブラナス将軍の反乱の鎮圧に向かい、将軍を殺して反乱を収束させた。
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